「あなたの陰のリーダーシップに支えられ、ここまで来られた」。藤本ゆかりさん(37)=那覇市出身、千葉県浦安市在住=が、幼児教育会社を辞める時、社長はこう語り、労をねぎらった。五十歳を超える社長が、当時まだ二十代半ばの藤本さんのリーダーシップをたたえた。この会社で藤本さんは、子供たちに音楽を教えながら、社長の秘書を兼務していた。
幼少からピアノのレッスンを続けてきた藤本さんは、ピアニストになるのが夢だった。周りも、自分もそう思い込んでいた。高校を卒業すると上京、国立音楽院でピアノを四年間学び、さらに二年間米留学。帰国後同学院でピアノ講師をしていたこともある。
「何か違うな」。自分が選んだ「ピアノ」という道が、自分の中で違う選択をしているように思えたのは、この会社で働いているころだった。「ピアノ以外の選択はないと思っていた」のだが。
「社長はお客さま、社員の前で何かを語るとき、そして決断するときは自信を持っていた。でも、その寸前までは常に迷っていた」。本当の社長の姿は、藤本さんだけが知っていた。自信を持って語るまでには準備がいる。それを先回りして、資料などを整えて支えた。「ありがとう」。社長から自然とこぼれる言葉に、やがてピアノを教えるよりも人を支える仕事に充実感を感じ始めた。
「ピアニストの夢はまだあった。だが、企業のトップに立つ人を支える方が、ずっと大きな存在に思えた。大きな決断をする人たちの気持ちに添ってあげることに魅力を感じた」
今は日本IBMで営業部長秘書を務めている。仕事にやりがいを感じ、IBMのファンでもあるが、多くの経営者たちのサポートをしたいという気持ちが芽生えはじめた。
二年前のそんな時だった。米国で始まった新しい仕事が、テレビで紹介された。「私が探していたのはこれだ」。藤本さんの心をとらえた。「コーチング」だ。
コーチングはスポーツの世界から来ている。コーチは選手の潜在的な能力をサポートして引き出す。同じように組織で上に立つ者、女優や作家など個人で仕事をする人を主な相手にやる気(モチベーション)を高め、行動につなげる仕事だ。
すぐにコーチ養成所の説明会に参加した。コーチングは、ゼネラリストという秘書のキャリアを一転、スペシャリストに変える可能性があった。まだ耳新しい仕事に、藤本さんはかけた。
(社会部・米須清光)
価値観が多様化する社会の中で、仕事を、生き方を、夢を求めて、それぞれの選択がある。その人間模様を描いた。
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